汚いのは嫌い。汚い暮らし、それは自分を粗末にすること。
私は潔癖症でもないと思います。
電車やバスのつり革はつかまるし、
図書館の本をなんとも思わず読みますし
中古品とか使ってます。
でも、汚いのは嫌い。
落書きや、壊れたモノとかも放置するのは
不快です。
枯れたままの植木鉢とか。
ゴミが散らかった道路やマンションとかも。
汚いのが好きな人っているのかな?
います?
私は汚くして暮らしてます、とか
楽しい汚部屋ライフとか、
あえての、汚さを味わう暮らしとか?
ないですよね。
意識的に汚くして暮らそうとして暮らす、とかってあるのかな?
なんか、汚くて平気って、無意識だろうし病的なものを感じるんですよね。
例えば公共のおトイレとかが汚れてたら、そこ使います?ギョッとして違うところに行きませんか?最近では自動で流れるおトイレも増えましたし、昔みたいな酷い落書きは見なくなりました。壁に穴があいてるとかも、滅多に見ないかな。おトイレって意識レベルがわかりますよね。
私、汚いとなんだか気持ちがギュって萎縮する感じがするんです。気持ち悪いしそこに居たくないし、見るのもイヤ。でも現実は、汚くて片付かない家で育ってしまいました。だから、平気なつもりでした。小汚い店や場所も平気な振る舞いをしてきました。だけど本当は大嫌いです。
不潔とか、不衛生とか、不便な暮らしとか
生きていく上では自分を何らかの危険に晒す行為だと思うんです。それに気付かないとか、もしも「あえて」するとしたら、それは生物として問題なのでは??
いや。単に私がそういうのが嫌いなだけですが。少なくとも、汚いのが好きな人とは友達にならないし、付き合えません。身の周りの整理も出来ないような人とは、友達にはなりませんしなっていません。身の周りが汚いだけで無理。
今気付きました。
私やっぱり親が嫌いです。
元夫も義両親も無理。
なんで汚いところで暮らし続けられるのか意味が分かりません。
今思うと、私は何かを麻痺させて暮らしてきたのかも知れません。元夫と別居後、コッソリ何度か元夫の居ない間に(その時はまだ婚姻中でした)家に入ったことがありました。
ホコリだらけで台所は汚く、歩いた跡が床に残りそうでビビりました。そしてその、全く掃除すらしない空間にぞっとしました。
こういう生活をしていて平気って、私は無理です。外でどんな顔をしていようが、一見ちゃんとした職業だろうが、これがこの人なのかと思うと気持ち悪くて。
もちろん、これが例えば若くて可愛い女性だとしても同じように気持ち悪いです。感覚的に私とは全く相容れない何かを感じます。
つまり、1人ならとことん汚い暮らしをしていて平気。なのに、私には細かいことで文句を言うとか、あり得ない。自分がこれだけだらしないのに、人には要求ばかり。でもこれは後から気付きましたが母と全く一緒だったのです。
文句を言っていいのは私なはず。
なのに、尽くしたり迎合していたのは私だった。
いわゆる共依存ですね。
私は何もしなくて良かったし、尽くされることはあっても尽くす必要は無かったし、親の言うことを聞く必要もなく、いい子でいい妻である必要もなかった。自分で全てを選んで良かったし、好きなことをし、好きな場所で生きて好きなことをして良かった。でも長い間気付けませんでした。
汚いところにいると、多分自分の気持ちに目を向け、自分の本当の願いすら大切にできなくなるのかも知れない。こんなふうにしたい、これが欲しい、これが素敵、こうやって生きていきたい。感覚というものが知らずに麻痺して閉じられてしまうのかも。
じっくり考えるとか、思いを巡らすとか、ましてや人のことを大事にするとか、無理なのでは??現に犯罪が多い都市は街が荒れており、きれいにすることで治安の悪さが改善したりしていますよね。
私はきれいなところに住みたいです。