朝はバロックからの英語。バロックではフランスのカンタータを聞いてましたが作曲家の名前もうわすれ。
英語は、農場の話、電車で席を譲る話。
証券外務員試験アプリ。
読書ははかどらず。
会社に対しての疑問質問をちょっと検索、めも。
これは生きた。
イケメンには注意。結構気をつけてはいるのだが、またかいなという思い。議論は必要だが、空気は凍る。もちろん、プロ意識は必要だ。でも?その言い方は必要だろうか。
観察必要。データ分析こちらも必要。
お篭りばかり。
でも、毎日つとめていることを。
YouTubeを見て企業のことを知る。テレ東大好きです。今日は学研の話。子供からシニアまで、その内容は興味深いものでした。
19年連続減収減益。でも、逃げない。
大人向けの科学雑誌を出しているとは知りませんでした。ミニチュアの活版印刷がすてき。
尖った企画。でも深く刺さる企画をというのが、なるほどだったのです。
子供には自主的に学ぶ姿勢を。
大事です。本当に。教えるのではなく、探させる。自発というのがどれほど重要かわかります。吸収する度合いが違う。
企業調査のための調べ物。社長の名前を検索して、情報あつめ。
数字をエクセルに落としました。休みだけど仕事のことを考えてしまいます。後は情報を整理しつつ、自分の考えをまとめていくのが明日の課題。
ナポレオン3世についての本をちらり。ナポレオンの甥にあたる人物です。
フランス革命後の、王政が滅びていく時期。
最初はさほど目立ちもしない人物だったのに、
歴史とは面白い。でも実は読みながらもまだ今ひとつピンと来ないところも。多分私がイマイチ素養がないせいです。本を読んでわかるためには、本以外の知識や素養が土台になければと常々思います。これは植物における土のようなものかも。地味だけど、めちゃくちゃ大切だけどすぐに叶わない。
料理。今週の食事のためのまとめづくりを少し。お酢につけるのだいすき。
爽やかな日は大チャンスです。
片付けるにしても、虫がまだあまりいない。
蚊が出てくると本当に大変です。今はまだ大丈夫。
片付けていると汗ばみますが、夏ほどではないので、今日は結構頑張りました。
ビニール手袋に革手袋、園芸用長靴に、雨ガッパ。雨ガッパはちょっと蒸すのですが、虫やホコリ、日差しをよけるため。もちろん日焼け止めも塗ります。
今日は外にある物置小屋の片付け。
かなりのホコリ。そしてゴミゴミゴミゴミ。
ひたすら燃える、燃えないに分け、袋につめ、まとめていきます。
長くて袋に入らないものは一箇所にまとめ。
危ないゴミは缶にまとめ。
紙箱はつぶしてまとめ。
ついでに、みるみる伸びてきた木の枝もちょこちょこ切り、これも袋につめ。
今ちょっと切ったくらいでは、また梅雨時にどんどん伸びるのですが。
はっきり言って、木を全部切りたいくらい。
もう高さ的には手に負えないんです。
本当なら真冬に、下から切らないとなんですよね。でも、ずっと前に切った枝が地面に積もってる状態。
つまり、やりっぱなし。
木を切ったとしても、枝をまとめて捨てはしないんです。だからぐちゃぐちゃ。
木を切ったら、そのあとが大変なんです。
長さを揃えてまとめ、ちょっとずつゴミに出す。でもその労力は要るし、いつもやらない。
なのに木を切らない。ゴミと一緒で、なにもかも手入れはしないくせに、捨てたがらない。
そして、、、、、
結局どうしようもなくなって、最終的には処分。それも、人に頼む。バカみたい。
どうせそうなるとわからないのかな。
全てがそれだから。
片付けをしながら、なぜかまただんだん悲しくなってきたりします。片付けても、別に感謝はされないし、私がそもそもこんな風にしたわけじゃない。親の尻拭いをしているだけ。
だらしがないから。整理整頓出来ないし、放っておいたらそのらままに。
とにかく、捨てる。
全部いらないから。
なんでこんなに溜め込んでいるのか、理解も出来ませんが。
どう考えても使わないだろう、というものばかり。いや、仮にも使うつもりなら、こんな状態にしないよねと。多分ですが、取っておいたことすら記憶に無いと思います。
つまり、無いと同じ。
そして全てが汚い。
かなり片付けましたが、まだあるんです。
粗大ゴミも申し込みました。
なかなか電話も繋がらないし。
片付いてはきたけど、また家の前はゴミの山。
これでも、まだゴミがある。
あります、まだ。
捨てたいものはまだまだある。
しかも捨てづらい大きいもの。
って言うか、本当に日常が汚すぎて嫌。
今日は自分の洗濯や片付けもしました。
他人(親だけど)の散らかしたものを片付けてばかり、片付けながら子供の時を思い出し、泣きそうになります。自分は全然きちんとしていないのに、私には努力を強要したし、ちゃんとやっていても当然と言われた。子供らしくワガママを言うことは許されず、いつも「子供らしくない子」と言われていわゆるいい子として育った。ただ耐えていただけ。
そうしなければ、生きていけなかったから。
本当にこんなの嫌。同じ気持ちの人はいるかな、と思いながらブログを書いて吐き出しています。
子供の時から、気持ちを受け止めてもらえることもなく、人生支配されて、40過ぎて離婚。カウンセラーに言われたのは、機能不全家族、という言葉でした。最初は全くわかりませんでしたが、今は納得しています。
親は親らしく、無条件に見守り受け止めてはくれなかった。
勝手に私の人生を決め付け、私はそれに応えなければ生きていけないと信じてしまった。
自分を捨て、人の言いなりになる人生。それが当たり前だと思ってしまった。
本当は、私は私らしく好き嫌いを表し、自分の気持ちを大事にして、自由に生きて良かった。
私の生き方は自分を殺すものだったのです。
鬱の手前で、なんとか私は元夫と離れて、
ギリギリのところで自分を捨てずに生き延びました。
アダルトチルドレンだったのです。
いろいろあったし、カウンセリングも受けてだいぶ乗り越えました。
でも、まだどこかに残っているのかも。
身の回りが汚い親が嫌い。
嫌いでいいですよね。
キレイじゃない空間が嫌い。
わたし、そういうのダメなんです。
落ち着いて自分の気持ちを考えられないから。
自分の内面を見つめ、大事にするよりも親の顔色を伺って生きてきたからでしょう。
そんな必要は無いのだと気付いても、その考え方を捨て、親の顔色をうかがうのをやめ、自分の気持ちをちゃんと大事にするのは自分しかいない。習い性になってしまった心のクセを治す。自分で。
自分がインプットしたわけじゃないのに、自力で変わらなければならない。
それでも、離婚は正解でした。
遅くはなかったし、今はその時よりずっと幸せです。
親は嫌い。それは悲しいことですが、それをダメなことと思うのはもうやめました。親とうまくいっている人が羨ましい。私は、合わないです。忘れたい。関わりたくない。
心理学の講座でも本でも、許し、というのは言われましたけど。出来ない自分も良しとしようと思います。
例えば、単にちょっと知り合ったくらいの人が自分と合わないタイプだったら、プライベートな時間をわざわざ一緒に過ごさないですよね。
考え方も趣味も感覚も全く合わない、そんな人と付き合います??
私は家族の誰とも合わないな、と思うんですよね。
ゴミ屋敷の片付けはペースダウンしています。
また紙ゴミの袋が山積み。
まだあったのか!!
でも、部屋の上の方にあったものはかなり無くなった感じです。
いや、まだどこかにあるのかしら?
でもまだ部屋がスッキリした訳ではないんです。まだぐちゃぐちゃしているし、棚とか要らない気がするし、除けてあるものも要らないのでは?と疑問に思ったり。
片付けのポイントは、大きなものをどんどん片付けること。先に大きなものをどければ、作業はやりやすくなるし、片付いた感じがするので
気持ち的に良いです。
でもなぜか、邪魔なところや通り道にモノを置いたまま。。
今日は刃物がそのまま床に。
なんで?
危ないに決まってるのに。
まぁよく考えてみると普段からぐちゃぐちゃにしているので、片付けてる最中ではあるけど
いつも片付けてる最中みたいなぐちゃぐちゃではあります。
片付いてる、という状況は見たことがない。
つまり、、
片付けてるのだけど、常にこの状況だから
普段と何も違わない。
そういうことになるのか。
そしてこの先、使わないであろうものがまだまだある。大き目のものや嵩張る箱類を移動。
本棚とか要らないと思うけど。というか捨てないわけ?
私から見るとまだまだ、要らない家具がある状況。そして片付け方が汚いというか、やっぱり片付け方も変な気がする。
いちいち、イライラしてしまいます。
何でこうなるの?って思う自分がいます。
同じ種類のものをまとめて、場所をあけて、要らない棚とかを外に出して。ゴミをまとめて袋に入れ、また外へ出す。
多分親と私では、根本的に何か全く感覚が違うのかなと思います。
そもそも、似たようなものを集めることが出来ないのかも?
例えばですが、食べたり飲んだりしない部屋にいきなり食べ物があったり。
床に服やカバンが散らばったままとか。
テーブルにゴミが乗ったままとか。
そういう乱雑さです。
はっきり言って私の友人にそういう、とっ散らかった人はいません。
多分友達にはなりません。
私もいちいち指摘はしませんし、黙って片付けたり放置したり。片付けても掃除しても、当たり前と思われるだけなので。
結局自分ではやらないし、汚くて平気だからそのまんま。私ひとりがイライラしているだけです。
私以外の家族は、、、
キレイ、美しい、素敵、そんな暮らしには興味も関心もないし、どうでも良いのだと思います。私が、こんなのイヤ!と感じているだけ。
環境は大事だと思うので。
一度トラックで紙ゴミを処分したはず。
有料でした。
が!また紙ゴミがどこかから、、、
湧いてきたのかと思うほどです。
紙箱、ダンボールもすごい量。箱類で30-40個くらいはあります。
どこにあったのかな、、、、、、、
文庫本、全集の類もまだある!
本気で、紙ゴミが湧いてきたのかと思って
クラクラしました。
これを階下に運ぶのがまた一作業。
いまはまだ夏ではないので、虫もいないし汗もかかないから幸いですが、もう少しすると大変になるのは目に見えています。
今のうちに、ではあります。
でも、、、まだある。
なぜある。
これだけ何日もかけているのに、どうしてまだ???
半分くらいは終わったのだろうか。
うちは圧倒的に紙ゴミが多いです。しかしもしかしたら、まだもっとゴミが湧いてくるかもしれない。
いったい。何トンのゴミが家にあるのか。とんでもないです。しかも大して広くもない家。信じられない。
でもですね、まだあるんです。だって部屋はまだぐちゃぐちゃだから。
とりあえず埃だらけのダンボールを潰しにかかる。
古いダンボールは、大きな固いホッチキスみたいなもので止められているので、注意が必要。
こんなことで手を傷つけないよう、丈夫な園芸用の革手袋をして作業します。
手を切ったりしたらバカらしい。
私は片付けの時は必ず、使い捨ての薄いビニール手袋をし、さらにこの革手袋をしています。
それでも、手が荒れる気がする。。
ダンボールを潰すにはカッターを使うことも多いので、金具をまとめる缶と、カッターや手袋はまとめて入れ物に用意してはじめます。
箱をつぶしてビニールに入れて。
まぁ、今日はこれだけ。袋をいくつか外に運び出しました。
大きなモノを先に移動するのがポイントです。
片付いた感じがするし、場所があくから。
使わないもの、種類の同じものは移動しながらまとめます。
紙ゴミは、少しずつなら収集車が持っていくようです。マメに毎週出せば片付いていくはず。。ただ、まとめて階下に下ろすのが一仕事。
っていうかまだあるってなんなの(怒
今のところ、私にしては身体のどこかが痛いということもなく、大丈夫です。下手したら体も痛くなるかもなところ。
無理はやめて、やれる時だけにします。
そもそも、これ全部私のじゃないし。
馬鹿みたいにモノを捨てない親のだし。
本当は私がやる必要ないよね。
何で片付けているんだろ。
でもきっと、同じ思いをしながら怒りながら片付けている人もいるんだろうか、私と同じように。
片付けても、別に感謝もされるわけではないし
何か良いことがあるわけでもなく、ただもう
捨てるしかない、それだけです。
私の願いは、きれいで快適で心地よい暮らしをすること。
なんとか、暑い夏が来る前にうっとうしいゴミを片付けてしまいたい。
本当は、外にもゴミがまだあるんです。
そろそろ、庭木も伸びはじめてきました。
これも、一度バッサリ切らないとまた何メートルも伸びてしまう。
ろくに手入れもしないのに、木を切らないでおこうとするせいで2階建以上に伸びてしまいました。
ああ何とか、暑くなる前に少しでも片付けないと。
今まで、自分自身見ないようにしてきたところを掃除すると、本当に抑えていた不満が爆発しそうになります。
今時のマンションはだいぶ使いやすいと思いますが、古い家なので、私には嫌いなものだらけ。
まず押入れ!
使いづらくて大嫌い。
奥行きが90センチなんて深すぎ。
中板があるせいで、奥のものは取れません。
自分の部屋は中板を外しましたが、やっぱり結局使いづらい。
天井との間の天袋も、もはやモノが絶対に取れなくなる。今は滅多に使わないスーツケースをいれてますが。
天井まで使うウォークインクロゼットにするか、普通の空間の方がいい。
リフォームしたいです。
洋服をかけるにしても、奥行き50センチくらいあれば良いわけで。中板を外して、洋服をかけられるように突っ張り棒的なものを使い、ハンガーをかけました。そしてタンスはやめました。家具が倒れる心配が減りました。
押入れがもっと収納にすぐれていれば、家具なんて要らない。かといって衣装ケースも使いづらい。だから私は衣装ケースは使いません。
今は洋服も年中使い回していることが多いです。洋服はたたむよりハンガーが楽だし。
しまい込んだら、もう取り出すのが大変すぎ。
吊り戸棚も嫌い。
出し入れしずらすぎ。
届かないし、頭の上に何かしまうってイヤ。
収納していると、油汚れで茶色になるし。
取ってしまいたい。。。
洗濯機ももっと動線を考えて、おく場所と干し場をくっつければと。
もちろん、乾いたら収納も近くに。
結局、家がすべて気に入らないわけです。。
建て替えしたい!
もっとちゃんと設計して、ステキな空間に出来るはずなのに。
畳っていうモジュールも、本当はイヤなんです。もっと天井高く、空間たっぷりがいいな。
なんか、日本家屋って好きじゃないんです。暗いし天井低いし現代の生活に合わないし。畳は嫌いではないけど、実際生活するには
結局のところ使いづらい。多分、昔と生活様式が変わってきたというのもあるのでしょう。今は洋服だし、電気製品も増え、核家族で暮らすようになり。
それにしても、親の暮らし方って。
普通に暮らしていたら、なんでこんなになるの?って言う汚ればかり。基本拭き掃除を全くしないからかも知れません。汚くても絶対に掃除しません。今に始まったことではないけど。
つまり、20代や30代からそう。
掃除もろくにしない、汚い生活をしてる人だったわけです。要らないもの、使わないものも捨てないし、汚くなるに任せたまま。
私は毎日徹底してピカピカするほど掃除はしませんが、それでもある程度流し周りや、テーブルはもちろん、普通に台所は掃除します。
当たり前ですよね??ゴミ箱だって数日使えば汚くなるから、サッと拭いたり。というか、汚したら台拭きで拭いたり、例えばウエットティッシュとかで汚れを取りますよね?便利なものを買っておけばすぐきれいになるし。近くにグッズを置くなりしまうなりして。
少なくとも私が一人暮らしの時はそうやっていました。普通ですよね、そんなの。とりたてて凄いことでもないし、潔癖でもない、、、
違います?
だって、汚いとGが来ますよね?分かりきってるのに。
毎日使っていて、使いづらかったら使いやすくしますよね?
しませんか?
だって不便だし。
ちょっと探せば色々とモノもあるし。
100円ショップに行くだけでも、快適に暮らせるグッズはたくさんあるのに。つまりお金をかけなくても、ちょっとしたことで便利に使いやすくもなる。なのに。
そう思うのは私だけであり、親は何もしないし汚くて構わない、多分そうなのだと思います。
汚さは積み重なり、気持ち悪いくらいに汚れていきます。でもずーっと使い続ける。平気だから、、、、
そうやって、流しからゴミ箱から、引き出しから何もかもが汚くなっていく。部屋も家も全部が。それでも、自分が拭き掃除をすることは決してありません。そう言えば、元夫も同じだった。「どう見ても不潔なレベル」に汚くても、
自分できれいにはしない。
それって、、、、
なんか異様な気がしません?
例えば外では、社会的には普通な職業であっても、家は実は汚いなんて。
こういう人がリフォームしても、また汚く使うだけなんだろうな。
子供の時は、自分の親はちょっと変わっているかなくらいの感じで思っていました。そんなにネガティブな意味ではなくて。
でも、私自身いろいろあって鬱っぽくなったりしていた頃、カウンセリングを受けました。
機能不全家族と言われました。その時はじめて、自分の育ち方は変だったのだと理解しました。今更言われてもと思う反面、どこか納得出来るものがあり、私のモヤモヤは時間をかけて、だんだんに晴れていく感もありました。
つまり。
ずっと、ひび割れて汚れた鏡に映る自分を醜いと思っていたような感じです。
ひび割れているから、真実はそのまま映らない。汚いから、よく見えない。私は汚くて醜く見える。
でも実は、鏡が汚いだけで私は違っていた。
醜くもなく、他の人からみればそんな風に映らない。
でも、私はいつも汚い鏡でしか自分を見て来なかった。鏡が壊れていると分かっていたら、捨ててきれいなものを買えば良いだけですよね。
でも知らなかった。
冷たいように思われるかも知れませんが、汚い鏡は要らない。捨てれば良いのです。必要なんてないから。
壊れた鏡ばかり見ることで、自分を肯定出来ないことの方が余程問題ありです。
要らないのは私でなく鏡です。
親に感謝できる人は恵まれているんだな、と思います。私は違っていました。
苦しかったし、気づけなかった。自分を大切にしていいことや、自分の気持ちを信じたり、感じたことを尊重すべきと知らなかった。
親がおかしいし、私をちゃんと見ることも、親として守ってくれることもなかった。
だから、自分を大切にしてくれない人と結婚して当然のように尽くし、何一つ関係性を築くことも出来ず、無駄に年月を過ごしてしまったのだと思います。気づかないから。
それでも、そのような人間と離れて良かったと思います。遅くはなかった。私を貶すばかりの変な人間は、私の人生に必要ないですから。
今はもう罪悪感のカケラもありません。汚いのが平気で、私にばかりケチをつけ、コミュニケーション能力がない男など。
でも、結婚した私はやはり麻痺していたのだと思います。
親も毒親だったことに気づきました。
それと、もしかしたら両親ともアスペルガー傾向があるような??
とにかく、きちんと綺麗に暮らすことが出来ないし、片付けられない。
でも2人ともまあ社会生活もご近所付き合いも普通です。世間的には別に悪くなさそうかも知れません。トラブルを起こすタイプではないです。
どちらかというと楽しいご夫婦、みたいに思われているかも。でも子供である私から見たら、そうでもない。私にはなぜ、良さげに見えるのかわかりません。私にとっては全然全く良い親ではありません。
優しくもなく、私を尊重してくれたことはないからです。
2人とも大卒で、親の親戚も大卒は多いです。年代からいくとわりとインテリ家系なのですが、でもその割には「?」な思考回路な気がします。
お金がらみで損したことも1度だけじゃないかも。騙されたというか、お人好しなのか見栄を張ったのか。頭良さそうで、実は違う。
ネットワークビジネス系も、なんだかいろいろいいお客になるタイプ。健康食品とかも、あるあるですよね。
◯ムウェイなんてもう、古いけどまだ買ってるかなぁ。他にもっと安くて良いのあるのに。
◯キプルーンとかもありがちですよね。買ってましたし。
よくわからない、波動がどうのとか言ってガラスのネックレス買った時はおかしくなったのかと思いました。自分の親ながら、ちょっと変?というか、なんだか妙な気持ち。
波動って?!
単なるガラスでしょ。。。。。
バカですか?
騙されないにしても、リフォームする時に何一つ自分で注文つけないで、言いなりとか。
あまりに酷いことになってあとから文句を言ったことがありましたが、私が見ても仕事が酷かった。まさにボッタクリです。そもそも初めから怪しかったけど、つてがあるからって。知り合いだからって言っても最悪なパターンです。
その時私は子供でしたが、それでも何やら胡散臭い雰囲気の人でした。分かんないのかなと思ったけれど、子供だったので何も言えなかった。ですが案の定です。
多分上手いこと言われて、騙されたんだと思います。
他にもかなりのお金を騙し取られたことも。これも、全然親しくない知り合いです。家族には使わないのに、全く親しくもない他人になぜお金を払うのか。。。
何か、違うことばかりを見ているんだろうと。
親2人で、どちらかが反対して話し合うとか人に聞くとかすれば良いものを、これまた聞きもしない。そこも問題なんだろうと思います。
決めつけとか?
今こう書いてくると、やっぱり何と言うか、
合わない親だなと思います。多分理解し合うなんて出来ないと思います。いや、もうそんなことは望まないし、できるはずもないと判断しています。